私はこのサイトの情報発信者で、外反母趾改善の専門家、中島武志と申します。
当サイト『外反母趾を治す』とは、外反母趾でお困りの方が、その悩みを解決するためのサイト。
外反母趾は、多くの方が悩んでいる疾患。
現在一般的には治らない、進行を食い止めるのが精一杯、と考えられています。
そんな外反母趾ですが、正しく対処すれば必ず克服できるのです。
私は自身の治療院で、多くの方を改善することで、そのことを証明してきました。
公開許可をいただいている改善症例だけで、1000例を超えています。
そして今では、そのノウハウを学びに来れられる治療家の方も、ドンドン増えています。
もちろんそれらの先生方の元でも、同じような成果が報告されています。
しかしこの輪の広がりは、まだまだ十分ではありません。
多くの間違った情報に埋もれて、正しい情報が広がっていかないのです。
外反母趾を改善し克服された方は口々に
「もっと早く知りたかった」と仰います。
なのでまだ見ぬお悩みの方々に、正しい情報を届けたい。
そして外反母趾は必ず克服できることを、伝えたい。
足の痛みや悩みから解放され、
明るく前向きになった人達であふれる世の中を作る。
そんな思いで日々、このサイトから情報を発信しています。
情報発信者紹介
中島 武志(なかじま たけし)
外反母趾改善専門家、歩行指導専門家、「一般社団法人ネイティブウォーキング協会」代表、「コンディショニングセンター新大阪」センター長、整体師。
小中高と野球に打ち込み、プロ野球選手を目指す。投手として活躍するが、13歳の時の交通事故と16歳の時の足の大けががもとで、高校で引退を余儀なくされる。
大学時代にスキューバダイビングを本格的に始める。モルジブにわたり、イタリア人経営のダイビングショップでインストラクターとして活躍。
その後帰国し、自然食品販売会社で人体と健康について総合的に学ぶ。
約10年の勤務の後、独立。体調不良に苦しんだ自分のような人の助けになりたい、と治療院を開業。
足の医療の先進国アメリカの足病医学を研究。膨大な数の治療や歩行指導のデータを収集。それらをもとに足の構造上理にかなった、歩き方改善のオリジナルメソッドを開発。
奇しくもモルジブで砂上生活で使っていた歩き方と通じることになり、「ゆるかかと歩き」と名付ける。その歩き方は様々な足の疾患に高い効果を示しており、特に外反母趾の改善効果は高い。測定器での改善データは1000例以上保有(2019年5月現在)。
現在ではその治療実績を頼りに、近畿圏一円はもちろん沖縄や高知、島根などからも患者様が来院。
2017年末より他の治療家の要請によりノウハウを公開。北は北海道から南は福岡まで、全国の治療家がそのメソッドを導入している。
私が、外反母趾を克服する「ゆるかかと歩き」に辿り着くまでの物語
私は新大阪に足専門の治療院を構えておりますが、そこには毎日足にお悩みの、多くの方がお越しになります。
そして皆さん、歩き方改善に取り組むことで、外反母趾を始めとしたその他の足の悩みを克服していかれています。
私達にとってそれは、決して珍しいことではありません。
その証拠に患者さんのお許しのある、公開可能な測定器による症例だけでも、1000例以上あります。
その歩き方を取り入れた皆さんは口々に、「この歩き方に出会えてよかった」「目からうろこです」「この歩き方が早く広まればいいのに」などと仰ってくださいます。
そんな歩き方に私がどうやって辿り着いたのか。
この歩き方は、私の人生に起こったいくつもの偶然が結びついた結果、幸運にも生まれたものです。
どんな歩き方が、どうやって生まれたのか。
その物語をお話しします。
高校生の時に足に大ケガを負い、夢をあきらめる
私は子供のころから、将来の夢はプロ野球選手という、絵にかいたような野球少年でした。
ずっと野球だけに打ち込んできたのですが、高校1年生の時に、大きなアクシデントが私を襲います。
練習中の事故で、右足首に大ケガを負ったのです。
「捻挫の最大級」みたいなやつです。
やった直後、救急車で病院に運ばれましたが、足があまりにも腫れて靴が脱げず、靴をハサミで切って脱がされたほどでした。
骨にこそ異常はなかったものの、靭帯の損傷はひどく、足首はボロボロのゆるゆる。
そこから数ヶ月に及ぶ松葉杖生活が続き、その後も長いリハビリに苦しみました。
それでも約半年後には、通常のトレーニングメニューは一通りこなせるまでに回復はしました。
しかしそれ以降から、原因の良くわからない体中のあちこちの不調に悩むことになるのです。
今考えれば、その時の足の影響が全身に出ていたのですが、当時はそんなことに気づく由もありません。
常にあちこちに痛みを抱えながらの野球が、だんだん楽しくなくなり、プロ野球選手と言う夢は、高校卒業とともに諦めることにしたのです。
阪神大震災が、生き方を変える
今後何を目指して生きていこうか、というときに次に降りかかったのが、21歳の時の阪神大震災でした。
その時私は宝塚に住んでいたのですが、家族は無事だったものの、私と歳の変わらない親戚が亡くなりました。
震災直後は遺体安置所はどこもいっぱい。各所の学校に遺体を預けるのですが、それでもそこもいっぱいで、遺体は一週間ほど私の家にありました。
つい何日か前に普通に話をしていた人が、もう今は、そしてもう二度と動かない。
そして徐々に色が変わって、体が朽ちていく。
それを見た時生まれて初めて「死ぬって、現実なんだ」「身近なものなんだ」と思い知らされました。
ちょっと間違えれば、今回の震災でも私が死んでいたかもしれない。
もっと言えばこの先も、何かの拍子に死ぬ事は、十分にある。
そう思うと、急に怖くなってきたのです。
それは急に身近になった「死ぬ」ということに対してではなく、「まだ何もしていない」ということに対して。
本当にプロ野球選手になれるつもりでした。
いろんな人に夢を与えて、あこがれられて、充実した毎日を送って。
苦労を掛けた親を、喜ばせることをして。
世界中を旅して、大切な人を幸せにして、いくつもの幸せな瞬間を経験する。
そんな人生を思い描いていました。
でも「死」は想像していたより、意外に近くにあったのです。
まだ、何もしていなくても。
もしかしたら、いつかやろうと思っている「やりたい事」は、のんびり構えていると、できないかもしれない。
そのいつかは、ずっとやってこないかもしれない。
先延ばしにせず、悔いのない生き方をしないと。
生きたくても生きられなかった、あの人の分まで。
そう強く思うようになりました。
モルジブでのダイビングインストラクター生活
そんなこともあって、それからはいろんなことに挑戦しました。
いつも悔いのない選択をと思って、生きてきたつもりです。
そんな選択の一つが、モルジブ共和国でダイビングインストラクターとして働く生活。
理由は単純。
自分が感動した海を、他の人に紹介したかったから。
そして、一度は海外で働いてみたかったから。
決して楽しいだけの甘い世界ではなかったけれど、24歳の私はモルジブで、沢山の忘れられない経験をしました。
結局一年足らずで返ってきたので、人生においてはただの遠回りだったのかもしれません。
でもそんな風にして「やりたいことをやらず、悔いを残したくない」という思いで、毎日をがむしゃらに生きてきました。
37歳にして治療家の道へ
そんな私が37歳にしてやっとたどりついたのが、今に至る治療家という仕事でした。
私の様にケガや痛みでやりたいことを諦めたり、夢を追えなくなる、そんな人を1人でも減らしたい、そんな思いからでした。
暗い顔でお越しになった方の、辛かった痛みがなくなる。体が良くなる。
その結果、仕事が続けられる。
趣味を始められる。
明日が来るのが楽しみになる。
そうやって回復していく人たちを見てるのが、力になれている毎日がうれしくて、もっと、もっとと頑張りました。
できるだけ長く良い状態が続きますように。
できるだけ再発しませんように、とそう思い、突き詰めていくと、それは結局「治療」から「予防」に近い取り組みになってきます。
なので私は姿勢はおろか、日常の体の使い方や食生活にまで、細かなアドバイスをするようになっていきました。
アメリカ足病医学との出会い
そんな中でも苦労したのが、歩き方。
歩き方は、誰もが毎日必ず行う動作です。
しかしその動きに関しての、教科書的なものがありません。
美しい歩き方や、個人の経験則でのこれがいい、と言う程度のものはありました。
しかし理論的な裏付けや、実績・実証のないものばかり。
そんなものを、私は自信をもってお教えすることはできませんでした。
そんなことで悩んでいるときに、一緒に働いているスタッフが「アメリカ足病医監修の足のセミナー」というものを見つけます。
「足病医ってなんだ?」「足に詳しいお医者さんなのかな」
それぐらいに思いながら、そのセミナーに参加してみたのが、今思えば大きな転機になるのです。
そのセミナーで初めて、アメリカには足の専門医養成のカリキュラムが、しっかりとあること。
そしてまだ日本にはそれらが全然なく、遅れているということを知ったのです。
モルジブ生活+アメリカ足病医学=「ゆるかかと歩き」
そのセミナー内で、正しい足の使い方は、全て説明されていました。
それはそれで十分衝撃だったのですが、しかしそれは全て、治療のためのもの。
具体的な「歩き方」にまで、およんでいるものではありませんでした。
ずっと歩き方を研究していた私は、「この正しい動きを逆算すれば、理想的な歩き方がわかるはず」と思い、その動きを試行錯誤してみます。
するとその動き・その歩き方の感じに、どこかで覚えがあります。
「どこでだろう?、昔何度もこんな動きを、繰り返していた気が、、、」
その時、はっと思い出したのです。
その足の動き、歩き方は、モルジブでやっていたものだと。
私の働いていたモルジブの島は、1周10分ぐらいのとても小さな島。
簡単に言えば、砂浜の上にリゾートが立っている状態。
要するに、どこもかしこも砂だらけです。
なので、行った当初は歩くのがしんどかったのですが、現地で働いている人たちの歩き方を、見よう見まねでまねると、すごく楽。
そんな「モルジブの砂浜を歩くのに楽だった歩き方」こそが、その歩き方だったのです。
それは、砂浜で歩くのに適していたということではなかったのです。
砂浜という足元の悪いところでも楽に歩けたその歩き方は、それだけ人体の理に適った歩き方だった、ということだったのです。
それを私の治療院に通っていた多くの患者さんに手伝ってもらい、具体的な歩き方のメソッドにまで落とし込みます。
それこそが今の「ゆるかかと歩き」。
難治とされる外反母趾をはじめ、様々な足の悩みを抱える多くの方の、助けになっている歩き方。
アメリカ足病医学という「理論」と、モルジブでの砂浜生活という「経験」が、私の思いを形にしたと言って良いでしょう。
多くの方に伝えることが、気づいた私の使命
私のこれまでの人生はまだ、21歳のころに思い描いていたものからは、程遠いものです。
いろんな人に心配をかけて、迷惑をかけて、まだたくさんの恩も返せていない状態。
悔いのないように生きているつもりだけど、無駄なことや回り道ばかりしている気もするし、前に進んでいないと思うことの方が、多い毎日。
でも、あんなに痛くて辛かった私から野球と言う夢を奪った足の大ケガや、悲しくて怖くて、大事な人を失った阪神大震災。
そんなことすら、この「ゆるかかと歩き」につながっていたのです。
やってきたことに、経験してきたことに、全て意味はあった。
そんな全部が結局、今の私を作ってくれた。
多くの人を助ける力を与えてくれた。
そう思うと、たくさん回り道をしたこれまでも、「間違っていなかったよ」と、誰かに言われている気がしました。
だからこそ私の人生を助けてくれて、ここまで導いてくれた多くの人のためにも、この「ゆるかかと歩き」を伝えたい。
知ってもらいたい。バトンをつなぎたい。
そしてできるだけたくさんの人に
役立ててもらいたい。
そんな思いでこのサイトを立ち上げました。
「ゆるかかと歩き」が、あなたの人生のお役に立てれば幸いです。
運営会社
【運営会社】
一般社団法人ネイティブウォーキング協会
【代表理事】
中島 武志
【所在地】
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